第6話


 その後、リウス達は何度か実験を繰り返した。そして、小部屋を「望んだものが現れる空間」であると結論付けた。水と食料をただ探して開けるだけではダメで、ある程度明確なイメージが必要。人物は不可。家禽を出すことが出来なかったが、いざ出てしまった場合はそれはそれで扱いに困ったかもしれない。そう思い至ったところで検証を切り上げ、迂闊な召喚を試みたことを反省した。

「あの、隣も同じでしょうか」

焼きたてそのものの菓子パンを手に、途中から静観を決めていた日坂が声を掛ける。

 小部屋はふたつ並んでいた。ロシュメルとリウスは視線のやりとりだけで検証内容をすり合わせ、もう一方の小部屋にガラスコップを置いて閉めた。

「消えて欲しいと思ってはダメですよ」

「合点でい。お前もだぞ、未来人」

 日坂が答えるより早く、ロシュメルは扉を開けた。ガラスコップは、そこにあった。

 再び扉を閉め、期待とともに開く。

 そこには、何も残っていなかった。

「して、物しか消えないんでしょうか」

 リウスが問いかけた。ロシュメルは抜けかけた羽を投げ込み、すぐさま消して見せた。

「体の一部はいけるぞ」

 白熱しかけていたが、先に冷静さを取り戻したリウスが頭を振るう。

「やめましょう。このままでは興味で身を滅ぼしかねません」

「おっ……おう。じゃあまた、今度だな」

 こうして、もう一つの小部屋は「不要なものを消す空間」として暫定的に結論付けられた。

 ロシュメルは翼で自分の頬をぼふりとはたいた。何か閃いたのか、再び不敵な笑みを浮かべている。

 その黒く染まった目に背筋の冷えを感じたリウスは、思わず身構えた。

「そういや、上でもう一人見つけたんだっけか?」

「え? ええ、ソウェイル氏ですね」

 ロシュメルの問いにリウスが答える。彼女はリウスの背を色っぽくなぞりながら真横を通り抜けた。

「んで、上の部屋が6つ」

「それに対し、我々は5人、ですね」

 言い添えたリウスに目配せし、ロシュメルは「現れる小部屋」の扉を引いた。

 ロシュメルが首を傾け、リウスと日坂に確認を促す。そこに水桶はない。

 淡水色の肌に魚尾、淡紫の髪の水竜族竜人が寝転んでいた。

「ポラリスさんですか?」

「して、生物は不可能のはずでは…?」

 驚きに目を見開く日坂の隣で、リウスは困惑した表情を浮かべた。

「じゃあ、近かったんじゃね? ウチは”もう一人探すの面倒だからここで見つかんねえかなー”って開けただけだぜ?」

3人が見つめる中、ポラリスは身じろぎした。開かれた瞳が独房のような狭い空間を辿り、扉の先を捉える。

「んえ…あっ、リウスくん……?」

目を覚ましたポラリスは、寝ぼけたように瞬きを繰り返し、それからリウスの顔を見て微笑んだ。柔らかな笑みは変わらない。だが、その雰囲気はどこか落ち着いていて、以前の彼女よりも大人びた印象を与えた。

「ロシュさんに日坂さんも、おはよう! えと……ここ、どこかな?」

3人は謎の塔と、これまでの経緯を手短に説明した。

ポラリスはほうほうと頷きながら話を聞き、気づけばリウスの頬を引っ張っていた。

「して……満足されましたか?」

「うん。リウスくんのお肌のハリでだいたいわかった」

そんなわけで、だいたいポラリスにもわかってもらえたようだった。

「よいしょっと」

 ポラリスが小部屋からローテーブルをひっぱり出す。穀物の香りが混じる1階は先程よりも風が巡り、袋の積まれた影が揺れた。階段を早足で降りてきたリウスはテーブルを受け取ると、再び登っていった。階段の上端で、今度は日坂がそれを受け取る。殺風景だった石造りの空間には椅子やテーブルが運び込まれ、ロシュメルが位置を調整していた。

「だいたいよさそうかな?」

「ええ、十分でしょう」

 ポラリスは戻ってきたリウスを労い、頭上にある彼の顎を撫でた。

 リウスは彼女のしたいようにさせたまま、首を少しだけ下ろした。

「――ずいぶん成長されましたね、ポラリスさん」

 彼が何気なく言うと、ポラリスはくすっと笑った。

「未来のリウスくんも、ステキだよ」

ふわりとした口調だったが、どこか懐かしさを滲ませた声音だった。その言葉に、リウスは一瞬息をのむ。ポラリスの穏やかな微笑みに、知り得ない未来の断片が見えた気がした。

 ──思わず目を逸らし、リウスは話題を変えることにした。

「ポラリスさんがおそらく一番未来から来ていると思われるのですが……やはり、この塔について何かご存じありませんか?」

「そうだねえ……」

 ポラリスはゆっくりと首を傾げ、考え込む。星空を仰ぐように、視線が上方をぐるりと廻る。

「……わかんないかな」

 その答えに、リウスは少し肩を落としながらも、次の言葉を探した。

「して、暫く暮らすほかありませんね……」

「はわ?! そそそそんな、リウスくんと共同生活……!」

 ポラリスは頬を染め、言葉を詰まらせる。リウスの知る彼女そのままの言葉の詰まらせ方に、彼は少しだけ安堵を覚えた。

「お気に召しませんか?」

 リウスは異界で、ポラリスではないポラリスと一緒に暮らしていた。その経験がある分、彼は余裕をもって尋ねることができた。

「やっ、あっ、そそそその、いつも一緒に居たから、新鮮で……!」

 ポラリスの言葉に、恥じらいを覚えたのはリウスのほうだった。未来で自分は何を言ってしまったのだろうか、どんな振舞いをしていたのだろうか。今はただ、昔から変わらないポラリスの反応に、リウスはふっと笑みをこぼした。

 「やべえぞ! なんか光りだした!」

 不意に響いたロシュメルの声に、リウスたちは驚いて顔を上げた。

 螺旋階段の上からロシュメルが跳ね飛んできた。彼女は翼のような腕で滑空して階段の中ほどで着地し、上階を指した。ポラリスとリウスは互い顔を見合わせると、ロシュメルに続いて階段を上った。

 部屋の中央には、淡い光を放つ球体が浮かんでいた。

 それはゆっくりと回転しながら、淡い波紋を広げていた。

 困惑した表情の日坂が3人を出迎える。さらに、奥の扉が勢いよく開いた。

「えっえっ、なにそれなにそれ?」

 ソウェイルを担いだヴェナスが声を上げる。

 球体の中に、無数の泡が浮かんでは消え、ゆっくりと渦を描く。

 その泡のひとつひとつには、世界が煌めいていて。